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「具合が悪くなったら病院へ」は当然だが・・・
「具合が悪くなったら病院へ」は普通の考え方である。病院は救命の場であるためだ。適切な医療を受けることにより命が助かり、そして元気になって自宅に戻る。
多くの市民はそれを期待して病院に駆け込む。当然の権利だ。とくに日本では皆保険の甲斐あって、すぐに受診できる環境が整っている。
がん患者の孤独
がんに罹患する患者が増えている。それに伴い「末期」状態である患者も増加し、いわゆるセンター病院での積極的治療を修了された患者は地域一般病院に戻され、緊急対応や緩和ケアとよばれる医療を受ける体制に入る。
当院も地域一般病院であるため、そのような紹介は年々増える一方である。患者自ら自宅近くの病院にかかりたい(体力的に都心部の大きな病院に行くことが困難だから、など)と希望される場合もあれば、そろそろ抗癌剤治療の選択肢がなくなってきたから、状態の変化がありそうだから、近くの病院を受診するように勧められ、渋々受診されるケースも多い。
治療の進歩により、生存期間が延びていることはとても素晴らしいことと思う。しかし、現実的に患者はどのような状況かというと、多くの転移をかかえながらも生きながらえている、という状況なのだ。転移部位によって様々な症状を抱えながら日々生活している。
「標準」とされる治療を一通りやることを勧められ、そして終わると近くの病院へ。納得されて来られる方もいるが、これだけ信じて頑張ってきたのに、ある日突然「もう治療がありませんので地元で」を宣告され、不信感を頂きながら、地元の小さな病院を受診する。
時間がある程度あれば信頼関係を構築できるが、初診時すでに状態が悪くなっていることもあるし、場合によっては初診前に救急搬送されてくることもある。こうなってしまうと、信頼関係どころか家族の病状受け入れも難しいまま最期を迎えてしまう。その結果、その後の家族の人生にも大きな影響を残してしまうことになる。
がん末期状態において、病院でできることはかなり限られると言わざるを得ない。医療用麻薬を含む疼痛緩和治療はもちろん積極的に行われるが、実は患者にとって別の苦痛が生まれてしまう。「孤独」である。
PCUや差額ベッド代を払って個室へ入院する場合は家族の付き添いも比較的問題ないかもしれないが、一般病床の場合は大部屋に入ることの方が多い。治療に散々お金を費やしてきたこともあってか最期の大事なときにお金がもうない、なんていうこともある。大部屋にいると当然他の患者もいるため家族の付き添いも面会時間に限られることも多く、それ以外の時間はただただ孤独になっていまう。そして自宅ではない管理された環境となるため自ら動くこともままならずただただ病室の天井を見つめるだけの生活になってしまう。
刺激がなくなると人はどうなるか。何かをしたいという思いがなくなり、ただでさえ筋力低下がすすむ時期に衰弱が進み、昼夜の区別がつかなくなり、せん妄と呼ばれる意識障害に陥りやすくなる。本人も辛いし、そばにいる家族も辛い。これが病院で最期を迎える現状なのだと思う。もちろん、スタッフはそれを良くないことと認識し、可能なかぎり声をかけたり、リハビリをしたり、普段の部屋に近い環境をつくってみようとする努力を行うが、一般病床での激務のなかでは有効な時間を全ての感謝に提供することはほぼ無理だと感じている。
自宅療養の素晴らしさ、いかに自分らしく、いかに家族らしく
私は、訪問診療も行い、在宅緩和ケア・看取りを多く経験している。自宅で生活される方々の、いかに自分らしく、家族らしく生活しているかを目の当たりにすると、自宅療養を強く勧めることとなる。
病院の医師としてのスタンスとしては幾分おかしいかもしれないが、いかに病院で過ごすことがデメリットになるかを丁寧に説明することにしている。それでも不安が強かったり、介護力の問題だったり、自らの意思で入院される方が実際多いのが現状であるが、自宅で生活することの素晴らしさをこれからも勧め続けていきたいと思う。